第2回
生きる意味を探した。
【冒険者たち】
2年前の夏に Taiki Yamamotoさんに書いて頂きました。
原動力を見事に言語化して頂いたなぁと思い
今の気持ちと合わせて
5回に分けてお話ししている第2回目
<生きる意味を探した>
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【冒険者たちより】
<生きる意味を探した>
「学校でまかない切れていない学習を、地域で補えないかと思ったんです。」
NPO法人はたらくらす。
働きながら、
暮らしながら、
学んでいける。
そんな街にしたい。
「たとえば、保護者に仕事のことを語ってもらったら。」
―子どもたちは、希望を受け取ることができるんです。
長い間、自分の生きる意味を探していた。
「中学二年生のとき、クラスメートの同級生を亡くしたんです。」
男の子だった。
忘れ物が多い生徒で、一部の男子からいじめを受けていた。
「学級委員をしていた私は、
彼にとって姉のような存在だったと思います。」
隣の席で、
いつもその子の面倒を見てあげていた。
ある週の金曜日、
一枚のテレホンカードを受け取った
「いつもありがとな。
これあげるよ、っていわれて。」
齋藤さん(石渡の旧姓)のお陰で、
忘れ物がへったよ。ありがとう。
誕生日プレゼントと言われた。
何も気づかなかった。
「その週の、日曜日に亡くなったんです。」
―私は全然、彼の思いをキャッチできていなかった。
昨日までそこに居た人が、
突然いなくなる。
信じられなかった。
「自分がなぜ生きているのか、
答えが見つからなくて。」
無念さから、
苦しさから、
生きる意味を探した。
「23歳のとき、地元のスポーツクラブで夫に出会いました。」
生きる意味。
その深みから救い出してくれるような人だった。
26歳で結婚、
翌年に長男を授かった。
「子どもが一歳半のときに、
地域で自主保育のグループを作ろうと思ったんです。」
幼稚園や保育園ではなく、
母親たちの預け合いで、野外保育を実践した。
三つのコンセプトを作った。
①時間割で区切らず、
②自然のリズムを感じながら、
③年齢を分けずに絆をはぐくむ。
―子育ては、私にとって大きな救いだったと思います。
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これには続きがあって・・・
確かに救いだった。
なぜ生きているのか、
わからなくなっていた私にぽっかり空いた穴を、
夫や息子たちからの愛情が満たしてくれている。
そのはずだった。
でも、いつからか
家事も育児もできてあたり前
全部できて0点なんだ
と、思い込むようになってしまい、
どんどん自信のない私になって
また、
なぜ生きているのか、
わからなくなってしまいました。
周りからのネガティブな意見に傷ついて
「私のせいだ」と自分を責めてしまいました。
思考の癖は恐ろしいものです。
それが、選択理論心理学に出会って
思考や感情のメカニズムを知り、
周りからのネガティブな意見に
すごく振り回されていた自分に気づき、
Foundation コーチングに出会って
感情に良い悪いはない、
感情には意味があるという
自己受容を学び、
少しのことで動じなくなりました。
自分にとって苦手な人でも
対処できるようになりました。
今では、
人生を航海のように捉えています。
外からは嵐に見えるような時も、
私の心はさざ波
向かい風で進みづらい時は、
港に寄ろうかと思う心の余裕さえ感じます。
良い情報や気の合う人に出会うと、
追い風のように感じ、スイスイ進むイメージ
人生という航海を私らしく楽しんでいます
次回は、
<学校教育を越えて>
【冒険者たち】の文章を紹介し、
今の気持ちをお話しします。